グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland

出典:外務省 各国・地域情勢(2001.12現在)

一般事情
1.面積 24.3万km2(日本の約2/3)
2.人口 5,950万人(1999年)
3.首都 ロンドン(人口約729万人、1999年)
4.人種 アングロサクソン及びケルト系
5.言語 英語(ウェールズ語、ゲール語等使用地域あり)
6.宗教 英国国教(英国民の約55%)
7.国祭日 女王公式誕生日(毎年決定される。6月の第2土曜日が多い。)
8.略史
44〜410 ローマ帝国の支配
1066 ノルマンディ公ウィリアム、イングランドを征服
1649 共和制宣言
1660 王政復古
1688 名誉革命
1707 スコットランド王国及びイングランド王国合併、大ブリテン連合王国成立
1775−1783 米独立戦争
1837 ヴィクトリア女王即位
1902 日英同盟
1973 英、拡大EC加盟
1979.5 サッチャー保守党内閣成立
1990.11 メイジャー保守党内閣成立
1997.5 ブレア労働党内閣成立
政治体制・内政
1.政体 立憲君主制
2.元首 エリザベス二世女王(52年2月6日即位)
3.議会
上院及び下院の二院制
(イ)構成
下院(庶民院) 議席数 659 任期5年
内訳(2001年12月現在)
労働党 411議席
保守党 164
自民党 52
その他 32(議長1名及び副議長3名を含む)
上院(貴族院) 一代貴族、一部の世襲貴族等から成るが、上院のあり方については2001年11月に政府により上院改革に関する白書が提出され、今後、議会に改革法案が提出される予定。
(ロ)選挙制度(下院)
選挙権年齢:18才以上(英国人及び英国に居住するアイルランド共和国人)
被選挙権年齢:21才以上(同上)
選挙区:小選挙区(659区)
投票方法:一人一票、秘密投票
4.政府 (1)首相:トニー・ブレア
(2)副首相:ジョン・プレスコット
(3)外相:ジャック・ストロー
*女性閣僚は7名
5.内政 (1)1997年5月の総選挙において地滑り的勝利を収め、18年振りに労働党政権(ブレア首相)が誕生した。ブレア政権は、長期的な経済成長のために、低インフレ、健全財政による経済の安定を掲げたマクロ政策を実施するとともに、地方分権、北アイルランド和平の推進、教育改革などに取り組み、2000年9月の燃料危機の時期を除き、高い水準の支持率を維持してきた。
(2)本年6月7日の総選挙でも、59.4%という1918年以来の低い投票率の中、労働党が全659議席中、413議席(前回から6議席減)を獲得し、「第2の地滑り的勝利」を手にした。保守党は166議席(同1議席増)に終わり、第3政党の自由民主党は労働党よりも左寄りの政策を訴え、6議席増の52議席を獲得する健闘を見せた。なお、総選挙で敗北を喫した保守党ではヘイグ党首が辞任を表明し、9月13日、ダンカンスミス議員が新党首に選出された。
(3)ブレア首相は6月8日に内閣改造、行政組織の再編を行い、クック前外相は留任という大方の予想に反しストロー前内相が外相に任命された。
 今後の労働党の政権運営上の課題としては、@安定した経済の維持(世界経済の原則等の影響により懸念される景気減速への対応)、A公共サービスの改善(教育改革、国民保険サービス改革、犯罪対策等への取り組み)、Bユーロ参加問題などがあげられる。
(4)北アイルランド問題は、1998年4月、関係諸政党による和平合意が成立し、1999年12月には27年ぶりとなる自治政府(北アイルランド議会執行委員会)が発足した。しかし、その後、過激派組織の武装解除問題を巡ってプロテスタント・カトリック両宗派の対立が再燃し、2001年7月、積極的な和平推進者であったトリンブル自治政府首相が辞任した。その後、後継首相の選出は難航したが、IRA(カトリック系過激派武装組織)が武装解除に応じる姿勢を示したこともあり、2001年11月、トリンブル氏が首相に再選された。 
外交
外交  ブレア政権は、大陸欧州との関係を巡る党内対立に悩まされた前保守党政権と異なり、米国との関係を維持しつつも親欧州的立場から欧州で指導的立場を果たすことを外交戦略の基本としている。また、中東、アフリカ、アジアの紛争予防や持続可能な発展に積極的に取り組んでいる。
(1)EUの拡大及び深化について明確な積極的姿勢。
(2)NATOを欧州共通防衛の基礎と位置づけ、その政治面及び軍事面での役割を引き続き重要視。
(3)地域紛争に関しては、コソヴォ紛争、マケドニア内戦等についても、NATO及びG8の一員として積極的に対応してきている。また、紛争ダイヤモンド問題を始めとしたアフリカ地域の紛争予防や中東和平推進についても、積極的な外交努力を展開している。
(4)2001年9月の米国同時多発テロ事件を受け、米国と共に、軍事行動、外交活動、人道支援の分野で国際テロとの闘い及びアフガニスタン復興に積極的に取り組んでいる。
安全保障
1.基本政策 (1)1998年7月、英国防省は現在の英国の国防政策の基本文書といえる「戦略防衛見直し」を発表し、英国軍の新たなる近代化のための各種措置(武器の削減、作戦行動の見直し等)の実施を公約した。
(2)英国の安全保障は、NATO等の同盟国との協力を通じての集団的防衛により保障されるものと認識している。また、国連安保理常任理事国、EU・英連邦・G7の主要メンバー、核保有国等の地位から、世界的の平和と安全にも重大な責務を負っていると認識している。
2.国防予算等 (1)国防予算(2001年) 230億ポンド
(2)兵役 志願制
(3)兵力
 陸軍:113,950人
 海軍:43,770人
 空軍:54,730人
 総兵力:212,450人 (2000/01 ミリタリ−バランス)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業 航空機、電気機器、エレクトロニクス、化学、金属、石油、ガス、金融
2.GDP 14,156億ドル(2000年)(日本の約0.3倍)
3.一人当たりGDP 23,900ドル(2000年)
4.経済成長率 2.3%(2001年、米におけるテロ事件発生後の欧州委推定)
5.消費者物価上昇率 1.3%(2001年推定)
6.失業率 5.1%(2001年推定)
7.総貿易額(2000年) (1)輸出 2,833億ドル
(2)輸入 3,364億ドル
主要貿易品目
(1)輸出 電子機器、機械、自動車、石油製品、化学製品
(2)輸入 電子機器、自動車、機械、衣料品、光・科学製品
主要貿易相手国(2000年)
 米、独、仏、オランダ(輸出の57%、輸入の50%がEU諸国)
8.通貨 スターリング・ポンド
9.為替レート 1ポンド=約180円(2001年12月)
10.経済概要 (1)ポンド高による製造業・輸出産業の不振等から1998年に入り経済は減速したものの、イングランド銀行による段階的な短期金利(レポ・レート)引き下げの効果もあり(7.5%→5.0%)、99年に入り経済は回復した。その後は、旺盛な国内需要(主に家計消費)を牽引役に、長期的トレンド(GDP成長率前年比2.5%)を越える景気拡大が続いた(99年後半から2001年第一四半期まで継続)。経済の過熱を抑え、インフレを未然に防止するとの観点から、イングランド銀行は99年9月以降、段階的に利上げを実施し(0.25%づつ延べ4回)、2000年2月までに短期金利を6.0%まで引き上げた。
(2)2000年後半より景気減速感が表れており、堅調な消費(小売価格や住宅価格の上昇)や公共投資拡充に支えられる一方、外需減速(米国景気の減速、対ユーロでのポンド高)による製造業の不振に足を引っ張られている。こうした状況を踏まえ、イングランド銀行は2001年2月、それまで12ヶ月間据え置いた短期金利を引き下げ、その後も断続的に引き下げを行い(計2.0%、6.0%→4.0%)、景気の下支えを図った。ちなみに景気先行指数は今年12月を堺にマイナスからプラスに転じるとして、今年前半の減速傾向と後半以降の回復を示している。
<各種指標(欧州委経済見通し、OECD資料)>
  1999年 2000年
GDP(億ドル) 14,229 14,156
一人当りのGDP(ドル) 23,900 23,700
経済成長率(%) 2.3 3.0
消費者物価上昇率(%) 1.3 0.8
失業率(%) 6.1 5.6
輸出額(fob 億ドル) 2,716 2,833
輸入額(fob 億ドル) 3,229 3,364
二国間関係
1.政治関係  日英両国は、第二次世界大戦中の一時期を除き、400年に亘り良好な二国間関係を維持している。
 1998年1月のブレア首相訪日の際に「21世紀に向けての日英共通ビジョン」が両国首脳により発表された。また、1999年9月のクック外相訪日の際には21世紀に向けての具体的な日英協力の分野を謳った「行動計画21:21世紀における日本と英国」が両国外相により発表された。これに基づき、両国政府は各種分野及びレベルでの政策協調を頻繁に行うよう努めており、環境等のグローバルな分野でも様々な協力を行っている。
2.経済関係 (1)我が国の対英国貿易(英国は、対日積極策の一環として1994年4月から2001年3月まで「アクション・ジャパン」キャンペーンを展開した。)
(イ)貿易額(単位:億円)(通関統計)
  対英輸出 対英輸入 収支
1993 13,420
(−13.8)
5,512
(−11.2)
7,923
(−15.5)
1994 13,050
(−2.8)
6,043
(9.6)
7,007
(−11.4)
1995 13,233
(1.4)
6,696
(10.8)
6,537
(−6.7)
1996 13,580
(2.6)
7,799
(16.5)
5,781
(−11.6)
1997 16,588
(22.2)
8,693
(11.3)
7,895
(36.6)
1998 19,049
(14.8)
7,644
(−12.1)
11,405
(44.5)
1999 16,163
(−15.2)
6,741
(−11.8)
9,422
(−17.4)
2000 15,984
(−1.1)
7,092
(5.2)
8,893
(−5.6)
(ロ)主要品目
輸出 乗用車、自動車部品、集積回路、コンピューターなど
輸入 コンピューター、医薬品、乗用車、蒸留酒など
(2)我が国からの直接投資(%は対EUシェア)
 1999年度:13,070億円(47%)、2000年度:21,155億円(81%)
英国からの直接投資
 1999年度:898億円、2000年度:559億円
3.文化・知的交流 (1)本年5月から2002年3月末まで、日本を紹介する大型文化行事「Japan 2001」が開催中。「参加」「交流」をキーワードに、全英各地で1,000件を大きく上回る行事が予定されている。5月19日〜20日には、名誉総裁である両国皇太子陛下の出席も得て、ハイドパークにおいて主要開幕関連行事「祭」が開催され、21万5千人が参加した。
(2)1985年に両国首脳間の合意に基づき「日英2000年委員会」を設置。2000年に「日英21世紀委員会」に改組された。毎年一回日英交互に合同会議を開催し提言を両国首相に報告している。
(3)1,300人以上の英国人を含め、6,000人以上の諸外国青年が常時日本に滞在しているJETプログラムは、1978年から行っていた「英国人英語指導教員招致事業(BETS)を米国との類似事業と統合し発展的に継承する形で1987年に始まった。これまでに参加した英国青年の合計は、5,700人を超え、英語教育、国際交流に携わっている。
(4) 2001年4月、日英両国の青年がアルバイトをしながら相手国に1年間滞在することを認めるワーキング・ホリデー制度が発足した。
4.在留邦人数 53,114名(2000年10月)
5.在日英国人数 16,525名(2000年12月)
6.要人往来
(1)往(1999年以降)
1999年 高村外相、与謝野通産相、野田郵政相、小渕総理、承子女王殿下、有馬文相(2回)、高円宮同妃両殿下
2000年 河野外相、森総理
2001年 斉藤防衛庁長官、皇太子殿下、川口環境相(2回)、小泉総理、遠山文部科学相、森山法相、柳澤金融担当相、石原行政改革担当相、彬子女王殿下、杉浦外務副大臣
(2)来(1999年以降)
1999年 アン王女、バイヤーズ貿易産業相、クック外相、ヨーク公
2000年 ケント公、プレスコット副首相、デューワー・スコットランド首席大臣、バトル外務閣外相、クック外相、ブラウン蔵相、ブレア首相、モーガン・ウェールズ首席大臣、アーヴィン上院議長兼大法官
2001年 ヒューイット貿易産業閣外相、プレスコット副首相、マクリーシュ・スコットランド主席大臣
7.二国間条約・取極 通商居住航海条約、航空協定、文化協定、原子力平和利用協力協定、領事条約、租税条約、査証免除取極、科学技術協力協定、社会保障協定
8.外交使節 我が方:在英大使館(折田正樹特命全権大使)
     在ロンドン総領事館(中村総領事)
     在エディンバラ総領事館(平岡総領事)
     在カーディフ名誉領事館(トーマス名誉領事)
 英 側:在日英国大使館(ゴマソール特命全権大使)
     在大阪総領事館(カミンズ総領事)
     在名古屋領事館(ウテン領事)
     在広島名誉領事館(橋口名誉領事)
     在福岡名誉領事館(古賀名誉領事)
     在札幌名誉領事館(金子名誉領事)
9.日英交流関係機関 (1)在日団体
日英議員連盟(会長 河野洋平衆議院議員)
日英協会(名誉総裁 三笠宮寛仁親王殿下、会長ゴマソール駐日大使)
在日英国商業会議所(会頭 キャロルエアバス・ジャパン代表取締役社長)
(2)在英団体
英日議員連盟(会長 ゴッドシフ下院議員)
日本協会(会長 折田正樹特命全権大使)
日本クラブ(会長 石田忠正 欧州日本郵船会社社長)
在英国日本人商工会議所(会頭 根道博 三菱商事欧州支社長)
ジャパン・アソシエーション(代表 ウィルフォード卿)
(3)その他
日英21世紀委員会
(座長:塩崎恭久衆議院議員、マンデルソン下院議員)