ハイチ共和国
(Republic of Haiti)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)

一般事情

1.面積

27,750平方キロメートル(四国と九州の中間程度の面積)

2.人口

992万人(2009年 ECLAC)

3.首都

ポルトープランス

4.民族

アフリカ系(約9割)、その他混血

5.言語

フランス語、クレオール語(共に公用語)

6.宗教

キリスト教(カトリック、プロテスタント等)、ブードゥー教等

7.略史

年月 略史
1492年 コロンブスのエスパニョーラ島発見
1697年 フランス領となる
1804年 独立
1915年〜1934年 米国による軍事占領
1957年9月 F.デュバリエ政権誕生(1964年以降終身大統領)
1971年4月 J.C.デュバリエ(F.デュバリエの子息)大統領就任
1986年2月 J.C.デュバリエ大統領ハイチ出国
1987年4月 民主憲法発布
1991年2月 アリスティッド政権成立
1991年9月 軍事クーデター、アリスティッド大統領国外脱出
1993年7月 アリスティッド大統領の帰国に向け合意成立
1993年10月 国連安保理制裁再開(6月に実施、8月末に停止されていたもの)
1994年5月 国連安保理制裁強化(全面禁輸等)
1994年7月 国連安保理、加盟国に多国籍軍創設を認める決議を採択
1994年9月 カーター合意により軍指導部は退陣に合意。多国籍軍、展開
1994年10月 アリスティッド大統領帰国
1995年3月 多国籍軍が国連ハイチ・ミッション(UNMIH)に移行
1996年2月 プレヴァル大統領就任
1997年11月 国連ハイチ・ミッション(UNMIH)がハイチから撤退
2000年5-7月 議会、地方選挙
2001年2月 アリスティッド大統領就任(2期目)
2004年2月 武装勢力の活動先鋭化、アリスティッド大統領国外脱出、アレクサンドル暫定大統領就任、多国籍軍展開(安保理決議1529)
2004年3月 ラトルチュ首相就任、暫定政府発足
2004年4月 多国籍軍が国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に6月から移行(安保理決議1542)
2004年7月 対ハイチ支援会合開催(於:ワシントンDC)
2004年11月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期6ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1576)
2005年6月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期を2006年2月15日まで認める決議を採択(安保理決議1608)
2006年2-4月 大統領・国会議員選挙
2006年2月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期6ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1658)
2006年5月 プレヴァル大統領就任(2期目)、国会設置・開会
2006年6月 アレクシー内閣発足
2006年7月 対ハイチ支援会合開催(於:ポルトープランス)
2006年8月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期6ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1702)
2006年12月 統一地方選挙(一部国会議員選挙含む)
2007年2月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期8ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1743)
2007年10月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期1年延長を認める決議を採択(安保理決議1780)
2008年10月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期1年延長を認める決議を採択(安保理決議1840)
2009年4月 対ハイチ支援国会合開催(於:ワシントンDC)
2010年1月 ハイチ地震発生を受け、国連安保理は国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)の増員(3,500名)を決定(安保理決議1908)
2010年1月 ハイチに関する閣僚級会合(於:モントリオール(カナダ))
2010年3月 ハイチ支援国会合(於:ニューヨーク国連本部)
2010年10月 国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期延長を認める決議を採択(安保理決議1944)
2010年11月-2011年4月 大統領・国会議員選挙
2011年5月 マルテリー大統領就任

政治体制・内政

1.政体

立憲共和制

2.元首

ミシェル・ジョゼフ・マルテリー大統領(2011年5月就任、任期5年)

3.議会

二院制(上院30議席、下院99議席)

4.政府

(1)首相名 ジャン・マックス・ベルリーヴ(2009年11月就任)(現在組閣中)

(2)外相名 マリー・ミシェル・レ(2009年11月就任)(現在組閣中)

5.内政

(1)独立以来独裁政権が続いたが、1990年12月、初めての民主的選挙が実施され、アリスティッド大統領が当選。しかし、1991年9月の軍事クーデターにより同大統領は国外退避。国際社会は、ハイチの民主主義回復のため、国連安保理決議に基づく経済制裁の実施、多国籍軍の創設等により、軍の退陣を強く要求した。その後、米国の圧力により軍は退陣し、1994年10月に同大統領が帰国し、政権復帰した。

(2)1995年12月の大統領選挙で、アリスティッド大統領が推したプレヴァル候補が当選し、1996年2月に大統領に就任したが、その後、国会議員選挙の不成立、スマート首相の辞任等政治的混乱が生じ、1999年1月以降は、国会議員の任期切れにより国会は事実上機能停止状態に陥った。

(3)2000年5月、再三延期されていた国会議員(上下両院)選挙が実施されたが、上院議員選挙の得票率算出方法に不正があったとして野党が反発し、また同年8月には主要ドナーが、上院議員選挙問題を是正することなく議会を再開したハイチ政府の対応を非難し、政府間援助の見直しと新規援助の見合わせを発表した。同年11月には大統領選挙が実施され、2001年2月にアリスティッド大統領が就任したが、野党側は両選挙の無効を主張し、与野党が対立した。

(4)その後、米州機構(OAS)の仲介による与野党対話の促進努力がなされたが、2001年12月の大統領府襲撃事件を機に対話ムードが壊れ、与野党間の対立が先鋭化した。事態打開のためのOAS及びカリブ共同体(カリコム)の努力は2002年以降も続けられたが、奏功せず、再選挙の目処も立たなくなったこともあり、野党・市民社会グループは大統領退陣運動を激化させた。

(5)2004年に入り、反政府武装勢力による主要都市の警察署占拠が相次ぎ、政情不安に加え治安情勢が急速に悪化した。反政府武装勢力が主要都市を占拠し、首都侵攻の構えを見せる等、情勢が著しく緊迫化する中、2月29日、アリスティッド大統領は出国した。憲法に従い、アレクサンドル最高裁長官が暫定大統領に就任した。同日、国連安保理は、ハイチ情勢安定化のため、暫定多国籍軍の即時派遣承認等を内容とする決議1529を採択した。更に3月4日、国連決議等を踏まえ、三者評議会(政府、野党、国際社会の3代表で構成)が発足、翌日、同評議会は、新首相候補選出のための賢人会議を設立し、12日、同会議が選出したラトルチュ元外相が首相に就任した。17日、「ラ」首相は、13名の閣僚を任命し、ハイチ暫定政府が正式に発足した。

(6)2004年6月1日、国連決議1542に基づき国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)が発足し(暫定多国籍軍は同月末までに撤退)、治安確保、政治プロセス支援、人権・人道支援の調整のため幅広い分野での活動が展開されている(2007年5月現在、8,800名の要員派遣)。また、我が国を含む国際社会は、2004年7月にワシントンで開催された対ハイチ支援会合で総額約1,085百万ドルの支援を表明したほか、ハリケーン災害に対する緊急援助や選挙監視員の派遣など、ハイチ情勢の安定化のための支援を行った。

(7)2006年には一連の選挙(大統領選挙、国会議員選挙、地方選挙)が実施され、その結果、プレヴァル大統領が就任し(5月14日)、アレクシー内閣が発足(6月19日)した。新政権樹立を受け、国際社会は同年7月のポルトープランス会合で総額約750百万ドルの支援表明を行ったほか、国連ハイチ安定化ミッションのマンデート延長を数次に亘り承認し、それにより国内治安情勢は安定化してきている。

(8)2008年4月、食料価格高騰問題を巡り、大規模なデモが発生。4月12日、上院は内閣不信任案を可決し、アレクシー首相が辞任。同年9月、ピエール=ルイ首相が就任。

(9)2009年10月、上院はピエール=ルイ内閣不信任案を賛成多数で可決。ピエール=ルイ首相が辞任し、同11月ベルリーヴ計画・対外協力相が首相に就任。

(10)2010年1月12日(日本時間1月13日)、マグニチュード7.0の地震発生。

(11)2010年11月28日、大統領選挙等(第1回投票)実施。2011年3月20日、大統領選挙等(決選投票)実施。2011年5月14日、マルテリー大統領が就任。

外交・国防

1.対外関係

(1)主要支援国である米国、加、仏等との関係を重視。

(2)1996年2月、キューバと国交を回復。2002年7月、カリブ共同体(CARICOM)に加盟。

(3)治安維持、選挙監視等の分野で国連及びOASの役割・協力に依存。

(4)台湾承認国。

2.軍事力

1994年まで兵力規模7,400人(陸軍7,000人、海軍250人、空軍150人)の軍事力を有していたが、アリスティッド大統領の帰国後(2004年10月)、ハイチ政府は軍を解体。

経済(単位 米ドル)

1.主要産業

農業(米、コーヒー豆、砂糖、バナナ、カカオ、マンゴー、トウモロコシ)、軽工業(繊維製品、軽電気、機械組立)

2.GNI

5,366百万ドル(2007年 世銀)

3.一人当たりGNI

560.0ドル(2007年 世銀)

4.GDP成長率

2.9%(2009年 ECLAC)

5.インフレ率

8.5%(2007年)、15.5%(2008年) (消費者物価比、 世銀)

6.失業率

n.a

7.総貿易額

(1)輸出 551百万ドル(2009年 ECLAC) (財、F.O.B.)

(2)輸入 2,032百万ドル(2009年 ECLAC) (財、F.O.B.)

8.主要貿易品目

(1)輸出 衣類、加工品、カカオ、マンゴー、コーヒー

(2)輸入 食料品、加工品、機械・輸送機器、燃料、鉱物原料

9.主要貿易相手国(2006年 IMF)

(1)輸出 米国、ドミニカ共和国、カナダ、メキシコ、ベルギー

(2)輸入 米国、アンティル諸島、ブラジル、中国、コロンビア

10.通貨

グルド

11.為替レート

1米ドル=37.138グルド(2007年 IMF)

12.経済概況

(1)ハイチ経済は、農業依存型の脆弱な体質に加え、国内の政情不安と1991年の軍事クーデターを契機とした国際社会による経済制裁により、1994年には国民経済は困窮状態に陥った。民主主義の回復と共に国際社会からの援助が再開されたが、2000年の選挙結果に起因するハイチの民主化プロセスの停滞は、米国をはじめとする主要ドナー国による援助の見直しという結果を招き、ハイチ国内経済に大きな影響を与えた。

(2)その後も、ハイチの政情不安、民間投資の減少、国民総生産の低下、為替相場の下落、2000年9月及び2001年2月の石油価格値上げに伴うインフレの加速、延滞債務問題等経済状態の悪化が続き、加えて2004年2月の政治危機による国内政情不安及び同年の自然災害の発生等により、ハイチの経済社会状況は、厳しい状況が続いた。

(3)2005年には、暫定政権下でハイチ系海外移民(ディアスポラ)からの送金及び通信及び建設分野の投資等が増大し、国内総生産がプラス成長となり、インフレ率も前年比減となった。

(4)2006年、暫定政権が推進した金融の税制政策が奏功し、外貨準備高は増大しマクロ経済は安定した。

(5)2007年11月、政府は貧困削減戦略文書(PRSP)を世銀、IMFへ提出。

(6)2008年9月、同国付近を連続通過したハリケーンにより、死者約800名を含む被災者約80万人のほか、同国GDPの約15%に相当する損失を被った。

(7)2009年4月、IDB主催ワシントン会合が開催され、国際社会は今後約2年間の支援として約350百万ドルをプシッジ。

(8)2010年1月、大規模な地震により、死者約31万人を含む被災者約370万人(ハイチ政府発表)のほか同国GDPの約120%に相当する約78億ドルの損失を被った。

(9)2010年3月、国連及び米主催ハイチ支援国会合が開催され、国際社会は合計約53億米ドルをプレッジ。

経済協力(単位 億円)

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力(2008年まで、交換公文ベース) なし

(2)無償資金協力(2008年まで)292.57億円

(3)技術協力実績(2008年まで、JICA経費実績ベース) 13.77億円

(4)最近の援助→外務省HP参照

2.主要援助国(2008年、OECD)

(1)米国、(2)カナダ、(3)フランス、(4)イタリア、(5)スペイン

二国間関係

1.政治関係

1956年4月、外交関係再開。現在、在ドミニカ共和国大使館が兼轄しており、1975年2月より臨時代理大使駐在(2004年2月25 日、ハイチ情勢悪化のため在ハイチ大使館は一時閉鎖したが、同年4月12日に再開した)。ハイチ側は1960年に日本に大使館開設。1995年5月より特命全権大使が駐在し、2003年9月離任。2005年4月末に臨時代理大使が着任。2010年1月のハイチ大地震を受け、我が国は自衛隊施設部隊をハイチPKOに派遣。

2.経済関係

(1)対日貿易

(イ)貿易額(通関統計)
年号 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
日本からの輸入 1億円 2億円 1億円 1.7億円 1億円
日本への輸出 27億円 37億円 45億円 50億円 47億円
(ロ)主要品目
対日輸出 コーヒー豆、衣類、蒸留酒
対日輸入 自動車、電気機械、一般機械、自動車部品

(2)日本からの直接投資

1件2億円(1988年)

3.文化関係

民間レベルでのハイチ絵画・音楽の日本への紹介。ハイチへの柔道の紹介(文化無償による柔道機材の供与等(2003年))。ハイチでのジャパンウィーク開催(2002年度)。

4.在留邦人数

20名(2009年10月現在)

5.在日当該国人数

21名(2009年12月現在)

6.要人往来

(1)往(1984年以降)

年月 要人名
1984年8月 山下徳夫衆議院議員
1994年11月 今井澄参議院議員
1995年10月 黒柳徹子ユニセフ親善大使
1996年2月 白川勝彦衆議院議員(大統領就任式特派大使)
1999年5月 今井澄参議院議員
1999年8月 愛知和男衆院議員
1999年11月 今井澄参議院議員
2002年5月 谷垣禎一衆議院議員一行(超党派議員団一行6名)
2006年5月 山中Y子外務政務官(大統領就任式特派大使)
2006年7月 山中Y子外務政務官(ポルトープランス支援会合政府代表)
2007年8月 菅義偉総務相(総理特使)
2010年1月 藤田幸久参議院議員、首藤信彦衆議院議員
2010年2月 中谷元衆議院議員、井上信治衆議院議員
2010年2月 谷合正明参議院議員
2010年3月 岡田克也外務大臣、長島昭久防衛大臣政務官
2010年4月 泉健太内閣府政務官
2011年1月 東祥三内閣府副大臣
2011年5月 山花郁夫外務大臣政務官(大統領就任式特派大使)

(2)来(1983年以降)

年月 要人名
1983年5月 エスティメ外相
1984年5月 ウェイル企画相、メルセルン蔵相
1984年9月 ラフォンタン風土病対策庁長官
1985年3月 フランベール農業相、ブランシャール企画相
1987年3月 レガラ内務国防相
1987年6月 メナジェ農業相
1989年2月 サンピエール情報調整相(大喪の礼)
1990年11月 P.C.ラトルチュ外務・宗務相(即位の礼)
1991年4月 レイ経済財政相、ベルナルダン企画対外協力行政相(IDB総会)
1996年7月 アリスティッド前大統領(UNDP国際会議)
1996年9月 ドルセアン公共事業相
1997年5月 ヴォルテール大統領補佐官
1997年9月 サバラ上院外務委員長
1999年11月 プレヴァル大統領補佐官(大統領夫人)
2000年11月 ジェルマン商工相(第1回日・カリコム外相会議)
2005年1月 アブラハム外相(神戸防災会議)
2005年4月 バザン財務相及びピエール対外協力相(IDB沖縄総会)
2009年1月 ベルリーヴ対外協力相(神戸防災会議)
2009年6月 アレクシー元首相
2010年7月 コリモン=フェティエール通商・産業相(IDB招聘)
2010年9月 ドウラトゥール観光相(第2回日・カリコム外相会議)

7.二国間条約・取極

1963年 通商協定(1959年署名)
2005年 技術協力協定(2005年署名)