ミャンマー連邦共和国
(Republic of the Union of Myanmar)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)

一般事情

1.面積

68万平方キロメートル(日本の約1.8倍)

2.人口

5,322万人(ミャンマー政府 Statistical Year Book 2004)

3.首都

ネーピードー

4.民族

ビルマ族(約70%)、その他多くの少数民族

5.言語

ミャンマー語

6.宗教

仏教(90%)、キリスト教、回教等

7.国祭日

1月4日独立記念日

8.略史

諸部族割拠時代を経て11世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝(パガン王朝、1044年〜1287年)が成立。その後タウングー王朝、コンバウン王朝等を経て、1886年に英領インドに編入され、1948年1月4日に独立。

政治体制・内政

1.政体

大統領制、共和制

2.元首

テイン・セイン大統領
(2011年3月30日就任・任期5年)

3.国会

二院制

上院(民族代表院) 定数224(選挙議席168、軍人代表議席56)
下院(国民代表院) 定数440(選挙議席330、軍人代表議席110)

4.政府

(1)元首 テイン・セイン大統領

(2)副大統領 ティハ・トゥラ・ティン・アウン・ミン・ウー

(3)副大統領 サイ・マウ・カン

(4)外相 ワナ・マウン・ルイン

(5)上院議長 キン・アウン・ミン

(6)下院議長 トゥラ・シュエ・マン

5.内政

(1)1988年、全国的な民主化要求デモにより26年間続いた社会主義政権が崩壊したが、国軍がデモを鎮圧するとともに国家法秩序回復評議会(SLORC)を組織し政権を掌握した(1997年、SLORC は国家平和開発評議会(SPDC)に改組)。

(2)1990年には総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チー女史率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、政府は民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして政権移譲を行わなかった。
 総選挙以降、政府側がスー・チー女史に自宅軟禁措置を課す一方で、同女史は政府を激しく非難するなど、両者の対立が続いてきた。2003年5月には、スー・チー女史は政府当局に拘束され、同年9月以降、3回目の自宅軟禁下に置かれた。

(3)2003年8月、キン・ニュン首相(当時)が民主化に向けた7段階の「ロードマップ」を発表し、その第一段階として、憲法の基本原則を決定するため国民会議を開催する旨表明した。同年5月、国民会議が約8年ぶりに再開され、継続的に審議が行われた。

(4)2004年10月、キン・ニュン首相が更迭され、ソー・ウインSPDC第一書記が首相に就任。

(5)2005年7月、ニャン・ウイン外相は、ASEAN外相会議(於:ラオス)の際、現在進行中の国民和解と民主化のプロセスに集中したいため、2006年のASEAN議長国就任を見送る旨発表。

(6)2005年11月7日、ミャンマー政府は、首都機能をヤンゴンからピンマナ県(ヤンゴン市の北方約300キロメートル)に移転する旨発表。2006年3月頃までに政府機関は概ね移転を終了し、移転先はネーピードー市と命名された。

(7)2007年9月、全国的な僧侶のデモが発生。治安当局による制圧で、邦人1名を含む多数の死傷者が発生。

(8)2008年2月、ミャンマー政府は、同年5月に新憲法承認のための国民投票を、2010年中に総選挙を実施する旨発表。

(9)2008年5月2日、サイクロン・ナルギスがミャンマー南西部を直撃し、死者約8万5千名、行方不明者約5万4千名が発生。

(10)2008年5月10日、新憲法草案採択のための国民投票を実施(一部地域は24日に実施)。92.4%の賛成票で(投票率99%)で新憲法承認。

(11)2010年11月7日、総選挙が実施された。

(12)2010年11月13日、スー・チー女史に対する自宅軟禁措置が解除された。

(13)2011年1月31日、総選挙の結果に基づく国会が召集され、2月4日、正副大統領が国会で選出された。

(14)2011年3月30日、新政府が発足し(同時に国名も変更)、国家平和開発評議会(SPDC)から政権が委譲された。

外交・国防

1.外交基本方針

独立・積極外交政策(厳正中立)1997年7月ASEANに加盟

2.軍事力

(1)予算 400億チャット(推定)

(2)兵力 陸軍35万人、海軍1.3万人、空軍1.2万人(2006年版ミリタリー・バランス)

経済

1.主要産業

農業

2.名目GDP

約342億ドル(2009年、IMF推定)

3.一人当たりGDP

462ドル(2008年、IMF推定)

4.経済成長率

7.9%(2009年、IMF推計)

5.物価上昇率

7.9%(2009年、IMF推計)

6.失業率

約4.0%(2003年度ADB資料)

7.総貿易額(2009年)

(1)輸出 約72億ドル

(2)輸入 約40億ドル

8.主要貿易品目

(1)輸出 天然ガス、豆類、宝石類

(2)輸入 原油、機械部品、パームオイル、織物

9.主要貿易相手国(額の順、2007年度)

(1)輸出 タイ、インド、中国、香港、シンガポール、日本

(2)輸入 中国、シンガポール、タイ、日本、インド、マレーシア

10.通貨

チャット(Kyat)

11.為替レート

1ドル=5.65チャット(公定レート)(2010年8月平均)

12.経済概況

1962年以来農業を除く主要産業の国有化等社会主義経済政策を推進してきた。しかし閉鎖的経済政策等により外貨準備の枯渇、生産の停滞、対外債務の累積等経済困難が増大し、1987年12月には国連より後発開発途上国(LLDC)の認定を受けるに至った。1988年9月に国軍が全権を掌握後、現政権は社会主義政策を放棄する旨発表するとともに、外資法の制定等経済開放政策を推進。1992年から1995年まで経済は高い成長率で伸びていたが、最近は非現実的な為替レートや硬直的な経済構造等が発展の障害となり、外貨不足が顕著となってきている。

特に、2003年2月には、民間銀行利用者の預金取付騒ぎが発生し、民間銀行や一般企業が深刻な資金不足に見舞われたほか、為替市場にも影響が出ている。さらに、2003年5月のスー・チー女史拘束を受けて、米国が対ミャンマー制裁法を新たに制定したことが国内産業への打撃となり、経済の鈍化を招いている。また2004年10月には、EUがミャンマーの民主化状況に進展が見られないとして、ミャンマー国営企業への借款の禁止等を含む制裁措置の強化を決定した。

2007年8月には、政府によるエネルギーの公定価格引き上げ(最大5倍)が翌9月の大規模なデモの発端となった。デモ参加者に対するミャンマー当局の実力行使を受けて、米・EUは経済制裁措置の強化を行い、また豪州も金融制裁措置を取った。

経済協力

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力 0円

(2)無償資金協力 25.94億円

(3)技術協力 18.11億円

(2009年度:有償資金協力及び無償資金協力は交換公文ベース、技術協力はJICA経費実績ベース)

2.OECD-DAC(開発援助委員会)加盟国の援助実績

(1)日本 (2)英国 (3)米国 (4)オーストラリア (5)スウェーデン

(2007年、支出純額ベース)(出典:OECD/DACオンラインデータ)

3.経済協力の方針

2003年5月30日にスー・チー女史がミャンマー政府によって拘束されて以降の状況に鑑み,我が国は,新規の経済協力案件については基本的に実施を見合わせた上で,例外的に緊急性が高く,真に人道的な案件等については,ミャンマーの政治情勢を注意深く見守りつつ,案件内容を個別に慎重に吟味した上で,順次実施することとし,加えて、2007年9月のデモに対する弾圧を受け,案件の一層の絞込みを行ってきた。

その後,ミャンマー政府は2010年11月に総選挙を実施し,スー・チー女史の自宅軟禁措置を解除した。また2011年3月30日には民政移管が行われ,さらに,同年5月中旬には政治犯約50名を釈放した。これらは,不十分ながらも同国の民主化に向けた前向きな一歩であると考えられることから,同年6月,我が国は,ミャンマーに対する経済協力について,民主化及び人権状況の改善を見守りつつ、民衆に直接裨益する基礎生活分野(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)の案件を中心にケース・バイ・ケースで検討の上,実施することとした。

二国間関係

1.政治関係

1988年9月の国軍による全権掌握後、1989年2月現政権が客観的に見て政府承認を行うための国際法上の要件を既に満たしていると判断するに至ったため同政権を承認した。

また日本は従来からの伝統的な二国間関係を基本として軍事政権成立後も種々対話を実施。日本政府としては、民主化及び人権状況の改善を促すため、ミャンマーを孤立化させるのではなく、現政権とスー・チー女史を含む民主化勢力との関係を維持し、双方に対し、粘り強く働きかけていく外交方針であり、種々の機会を活用し、そのような考え方をミャンマー側に伝えてきている。

日本は、現状を強く懸念しており、スー・チー女史を含む全ての関係者が関与した形での国民和解と民主化プロセスの具体的進展を求め、高いレベルで事態解決に向けた働きかけを行ってきた他、2007年9月のデモに対する実力行使によって邦人1名を含む多数の死傷者が発生した事態を受け、ミャンマー側に強く抗議するとともに、民主化・人権状況の改善に向けた働きかけを行ってきている(詳細については、ミャンマーにおけるデモをめぐる情勢参照)。

2.経済関係

(1)対日貿易(2008年 ミャンマー政府)

(イ)貿易額
輸出 179.3百万ドル
輸入 191.0百万ドル
(ロ)主要品目
輸出 衣類、海産物、履物
輸入 自動車、機械類

(2)日本からの直接投資

212百万ドル(1988年以降現在までの累計)

3.文化関係

日、ミャンマー間では、これまで官民各層において、文化人、青年等の往来を始め様々な交流を行なってきている。

4.在留邦人数

516人(2010年10月現在)

5.在日ミャンマー人数

8,366人(2010年7月末現在、外国人登録者数)

6.要人往来

(1)往(1961年以降)

年月 要人名
1961年11月 池田総理
1967年9月 佐藤総理
1974年11月 田中総理
1977年8月 福田総理
1983年3月 安倍晋太郎外相
1992年7月 柿澤政務次官
1997年8月 高村政務次官
2002年8月 川口外相
2003年6月 矢野外務副大臣
2005年8月 福島外務大臣政務官
2008年5月 木村外務副大臣
宇野外務大臣政務官

(2)来(1988年以降)

年月 要人名
1989年2月 ペー・テイン保健相兼教育相(大喪の礼)
1990年11月 ター・トゥン法務長官(即位の礼)
1991年10月 オン・ジョー外相
1992年10月 オン・ジョー外相
1993年6、10月 オン・ジョー外相
1994年6、10月 オン・ジョー外相
1995年10月 マウン・エーSLORC副議長
1995年11月 オン・ジョー外相
1996年5月 オン・ジョー外相
1998年6月 マウン・マウン・キン副首相
1999年6月 ウィン・アウン外相
2000年6月 キン・ニュンSPDC第一書記
(小渕総理合同葬)
2003年7月 キン・マウン・ウィン外務副大臣
(タン・シュエ議長特使として)
2003年12月 キン・ニュン首相、ウィン・アウン外相(日ASEAN特別首脳会議出席のため)
2005年5月 ニャン・ウイン外相(第7回ASEM外相会合出席のため)
2008年1月 ニャン・ウイン外相(日メコン外相会議出席のため)
2009年11月 テイン・セイン首相(第1回日メコン首脳会議出席のため)
2010年1月 ニャン・ウイン外相(アジア中南米協力フォーラム第4回外相会合出席のため)

7.二国間条約・取極

平和条約(1954年11月締結)
賠償協定(1954年11月締結)
経済技術協力協定(1963年3月締結)
航空協定(1972年2月締結)