ルーマニア
(Romania)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年5月現在)

一般事情

1.面積

約23.8万平方キロメートル(本州とほぼ同じ。)

2.人口

約2,146万人(2010年)

3.首都

ブカレスト(人口約194万人)

4.民族

ルーマニア人(89.5%)、ハンガリー人(6.6%)など

5.言語

ルーマニア語(公用語)、ハンガリー語

6.宗教

ルーマニア正教(87%)、カトリック(5%)

7.国祭日

12月1日(統一記念日)

8.略史

年月 略史
106年 ローマ帝国によるダキア征服
271年 ローマ軍撤退
14世紀 ワラキア公国、モルドバ公国が建国される
15世紀末頃 オスマン帝国の宗主下に入る
1878年 独立
1881年 ルーマニア王国発足
1918年 トランシルバニアとの統一宣言
1947年 王制を廃止し、人民共和国樹立
1989年 政変により共産党一党独裁を廃止し、国名をルーマニアに改称
2004年 NATO加盟
2007年 EU加盟

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

トライアン・バセスク(Traian BASESCU)大統領 (2004年12月就任、2009年12月再任、任期5年)

3.議会

二院制(上院137議席、下院333議席)、任期4年

4.政府

(1)首相 エミル・ボック(Emil BOC)

(2)外相 テオドル・バコンスキ(Teodor BACONSCHI)

5.内政

(1)1989年12月の社会体制転換後初の大統領選挙となった1990年の大統領選挙において、それまで救国戦線を率いていたイリエスク議長が当選し、中道左派政権が発足した。その後、1990〜1996年までは中道左派政権(イリエスク大統領(1992年に再選)、1996〜2000年までは中道右派政権(コンスタンティネスク大統領)、2000〜2004年までは中道左派政権(イリエスク大統領)、2004〜2008年までは中道右派政権(バセスク大統領)と政権の交代が続いた。

(2)2008年11月の議会選挙において、上下両院の議席数ではバセスク大統領率いる民主自由党(中道右派)が、また、得票率では旧共産系の社民党(中道左派)-保守党(中道左派)同盟が首位を占めたことを受け、ボック首相(民主自由党党首)を首班とする中道右派政党と中道左派政党による大連立政権が発足したが、2009年末の大統領選挙に向け、社民党・保守党同盟が連立離脱。その後、民主自由党単独内閣が発足するも、内閣不信任決議案が可決され、総辞職する等、内政は混乱。

(3)2009年12月、大統領決選投票によるバセスク大統領の再選を受け、民主自由党及びハンガリー人民主同盟を中心とするボック内閣が再発足。他方、IMFからの融資条件である財政赤字削減のため2010年7月より緊縮財政措置を実施したため、支持率が低下し、閣僚7名交代などの内閣改造を実施。野党は内閣不信任決議案の提出等攻勢を強めているが、2012年の地方・議会選挙までは、現在の民主自由党を中心とする連立政権が継続する可能性が高い。

外交・国防

1.外交基本方針

(1)1989年の体制転換後、ルーマニアはEU加盟及びNATO加盟を最大の外交目標としてきたが、これらの目標を達成した現在、最大の外交目標は周辺地域の平和と安定。また、地政学的重要性を増す黒海周辺地域の安定と経済発展のための協力推進を、バセスク大統領自ら提唱。2011年上半期は黒海経済協力機構(BSEC)の議長国を務めている。さらに、バセスク大統領はとりわけ米国との関係を重視しており、2010年2月、国防最高評議会が米国によるミサイル防衛システム配備の受け入れを決定。今後、ミサイル防衛システム配備に向けた米国との二国間協定を結ぶ予定。

(2)NATO加盟については、他の中・東欧諸国及びバルト三国とともに2004年3月加盟を果たした。ルーマニアは、EU及びNATOの東端として、また中東地域への近接性から地域における地政学的重要性が増大しており、2005年には米国との間で国内に米軍施設を設置することで合意した。2008年4月にはブカレストでNATO首脳会合が開催された。ルーマニアは現在アフガニスタンに1851名、コソボに76名、ボスニア・ヘルツェゴビナに58名の要員を派遣している。

(3)EU加盟については、ブルガリアとともに2007年1月1日、EU加盟を果たした。他方,2010年7月には、ルーマニアにおける司法改革の努力が顕著に不足しており、政治的コミットメントが示されていないとの欧州委員会報告書が公表された。また、同年7−8月には、仏におけるルーマニア出身のロマが本国に強制送還されるなどの問題が表面化。同年12月には仏・独の内務大臣がルーマニア・ブルガリアのシェンゲン協定実施の延期を求めた共同書簡を発出したため、当初目標としていた2011年3月のシェンゲン協定実施を軌道修正。

2.軍事

(1)予算 約34億ドル

(2)兵力 総兵力7万3,350人(陸軍4万3,000人、海軍7,150人、空軍9,700人、総合軍1万3,500人)

(2009年:ミリタリーバランス)

経済

(単位 米ドル)

1.主要産業

金属(鉄鋼、アルミ)、工業(機械機器、繊維)、鉱業(石油)、農業(小麦、トウモロコシ)

2.GDP

約1,583億米ドル(2010年、出典:IMF)

3.一人当たりGDP

7,390米ドル(2010年、出典:IMF)

4.経済成長率

−1.9%(2010年、出典:IMF)

5.物価上昇率

5.8%(2010年、出典:IMF)

6.失業率

7.2%(2010年、出典:IMF)

7.総貿易額

(1)輸出 372億ユーロ(2010年)

(2)輸入 467億ユーロ(2010年)

8.主要貿易品目

(1)輸出 機械・輸送機器、その他工業製品、農業製品、鉱物・燃料

(2)輸入 機械・輸送機器、その他工業製品、化学製品、鉱物・燃料、農業製品

9.主要貿易相手国

(1)輸出 独(18.8%)、伊(15.3%)、仏(8.2%)、トルコ(5.0%)

(2)輸入 独(17.3%)、伊(11.7%)、ハンガリー(8.4%)、フランス(6.2%)

(2009年、出典:ルーマニア国家統計局)

10.通貨

レイ

11.為替レート

1ユーロ=4.25175レイ(2011年2月平均)

12.経済概況

(1)1989年の体制転換直後、国営企業民営化の遅延、農地私有化に伴う混乱等のためルーマニア経済は大幅に悪化し、経済成長もマイナス成長となったが、2000年以降は回復基調となり年平均5〜6%の経済成長を続け、2008年には7.1%を記録した。しかしながら、サブプライムローン問題に端を発した世界的経済不況の影響を受け、2009年には経済成長率が−7.1%にまで落ち込み、2011年も−1.3%と、一転、マイナス成長を記録することとなった。

(2)1989年の体制転換以後、基幹産業を中心に国営企業の民営化が進められた。特に大型の案件となったのは、国営石油会社ペトロムのオーストリアOMV社による買収及び国営銀行BCRのオーストリア・エアステ銀行による買収である。

(3)2000年以降、ルーマニアでは安価な労働力やEU加盟への期待感を背景に、外国直接投資が増加した。また、上記(2)の外資による民営化の買収も外国直接投資に計上され、2007年の外国直接投資は72億ユーロ、2008年は94億ユーロと順調な伸びを記録していたが、2009年には経済危機の影響により外資の流入が半減し、45億ユーロとなった。

(4)輸出の約7割がEU市場に向けたものであり、サブプライムローン問題に続く欧州諸国での消費減により、ルーマニアの輸出は減速した。また、それまでルーマニアの経済成長を支えてきた国内消費も大幅に落ちこんだ。

(5)2009年3月、IMF、世銀、EUは通貨レイの信用不安及び財政悪化を受け、約200億ユーロの融資を決定した。ルーマニア政府はIMFとの協定に基づき、財政赤字縮小のための改革を行うことを義務付けられ、ルーマニア政府は公務員給与の25%削減及び付加価値税(VAT)の19%から24%への引き上げ等を実施。右施策は消費意欲の減退に結びつき、国内消費は大きく落ち込んだ。一方で自動車産業を基盤とする輸出産業は回復を遂げ、2010年8月時点で輸出は経済危機以前の水準を超え、中東欧諸国でも最も大幅な伸び率を記録した。しかし、経済危機以前は国内消費に頼っていた経済構造が災いし、全体的な経済回復は遅れ、2010年のGDP成長率は−1.3%となった。

(6)ルーマニアは2015年のユーロ導入を目標としているが、インフレ率、財政赤字等の収斂基準の達成が困難とする見方もある。

二国間関係

1.全般・政治関係

日本とルーマニアとの関係は、1902年両国の駐オーストリア公使が外交関係樹立のための最初の協議を行ったことに遡り(その後、1921年在京ルーマニア公使館開設、1922年在ルーマニア日本公使館開設)、以来伝統的に良好な関係を維持している。2002年には、交流100周年を記念して両国で各種記念行事が開催された。また同年にはルーマニアからイリエスク大統領が訪日し(2月)、日本からは清子内親王殿下がルーマニアを御訪問された(10月)。2005年に開催された愛・地球博では、ルーマニア・ナショナルデー(6月)の機会にバセスク大統領が博覧会賓客として訪日し、小泉総理大臣との間で首脳会談を行った。2007年1月には麻生外務大臣がルーマニアを訪問し、ウングレアーヌ外相との間で日・ルーマニア外相会談を行ったほか、バセスク大統領、タリチャーヌ首相を表敬した。さらに、同年2月にはタリチャーヌ首相がルーマニア首相として初めて訪日し、安倍総理と会談を行い、価値を共有するパートナーとして両国の協力関係を二国間関係及び国際社会における取り組み双方で一層強化することで合意した。両国は2009年、外交関係再開50周年を迎え、各種記念行事が実施された。2009年5月には秋篠宮同妃両殿下がルーマニアを御訪問された。1959年9月1日の外交関係再開に関する書簡の交換が行われてから、ちょうど50年後の、2009年9月1日より、日本に渡航するルーマニア人に対する短期滞在査証免除が試行的に開始された。2010年3月にはバセスク大統領夫妻が日本を公式実務訪問、鳩山総理大臣との間で首脳会談を行った。2010年7月には日本経団連ミッションがルーマニアを訪問。

2.経済関係

(1)両国間の貿易量は、日本からの輸出209億円、ルーマニアからの輸入204億円(2009年)であり、日本からは自動車部品、電気回路部品、自動車等を輸出、ルーマニアからは木材、衣類、木製家具等を輸入している。

(2)日系企業の対ルーマニア投資は製造業を中心にブカレスト近郊及びハンガリーに近いトランシルバニア地方で行われており、JTI(日本たばこ)、光洋ルーマニア(JTEKT)、住友電装、矢崎総業等が進出している。自動車産業関連の投資が中心であり、これに伴いワイヤーハーネス用電気回路部品等、自動車部品の日本からの輸入が増加している。

(3)製造業以外では、日本郵船が代理店を通じ,船員の採用・研修を行っている。販売業ではホンダ・トレーディング及びブリヂストンが進出したほか、ザ・ダイソー(大創産業)がフランチャイズ展開しており、人口2,146万人というルーマニアの販売市場の大きさが着目されつつある。

3.経済協力

日本は体制転換後のルーマニアの民主化・市場経済化を支援するため、1991年より技術協力、文化無償資金協力による経済協力を開始し、その後1996年のコンスタンティネスク大統領の訪日を契機に円借款及び一般無償資金協力を実施した。これまでのルーマニアへの円借款供与案件として、「コンスタンツァ南港整備計画(約128億円)」、「道路整備計画(約92億円)」、「ブカレスト=コンスタンツァ間鉄道近代化計画(約256億円)」、「トゥルチェニ火力発電所環境対策計画(約287億円)」があり、ルーマニア側から高い評価を得ている。また、草の根レベルにおける協力として、1997年以降青年海外協力隊を派遣し、2008年12月の終了までの期間に青少年活動や医療の分野を中心として延べ112人が派遣された。ルーマニアに対する支援は、同国の経済発展状況及びEU加盟を踏まえ、段階的に縮小されており、2010年3月にバセスク大統領の訪日の際に調印された「ブカレスト国際空港アクセス鉄道建設計画(約418億円)」を卒業案件として対ルーマニア円借款供与は終了し,一般文化無償資金協力も既に終了した。

(イ)日本の援助実績(2010年度までの累計)(単位:億円)
(1)無償資金協力 26.76
(2)技術協力実績 98.47
(3)有償資金協力 1181.00
(ロ)主要援助国(2004年)(※2005年よりDACリストより卒業)
(1)独 (2)仏 (3)米 (4)日 (5)スイス

4.文化関係

ルーマニアにおける日本文化に対する関心は高く、各種日本文化紹介行事は常に好評である。2007年欧州文化首都に選ばれたトランシルバニアの地方都市シビウでは日本紹介月間が開催された。2008年には平成中村座による歌舞伎シビウ公演が大成功を収めた。また、日本研究・日本語学習に対する関心も高まっており、ルーマニアにおける日本語学習者数は小学生から大学生まで合わせて約2,000名(2009年度調査)に上る。2005年には、ブカレスト大学修士課程に日本研究コースが設置されたほか、2010年8月には同大学に日本研究センターが設立された。2009年1月末よりは、日本語教育・日本文化発信のためのボランティアが派遣され国内各地で積極的に活動したが2010年度末をもって終了した。2009年、「日本・ルーマニア外交関係再開50周年」に際して実施された能・狂言公演、人形浄瑠璃、日本週間等の様々な周年行事により、対日関心はより一層高まりを見せており、更なる対日理解の促進に向けた対応が今後の課題となっている。

5.在留邦人数

289名(2011年3月現在)

6.在日当該国人数

2,470名(2009年現在)

7.要人往来

(1)往

年月 要人名
1990年 鯨岡日・ル友好議連会長
1994年 赤桐参議院副議長、鯨岡衆議院副議長
1995年 柳澤外務政務次官、常陸宮・同妃両殿下
1996年 羽田元総理
1997年 高村外務政務次官、豊田経団連会長
1999年 菅野参議院副議長、柳澤日・ルーマニア友好議員連盟会長
2000年 浅野外務政務次官
2002年5月 谷口財務副大臣 
2002年8月 松浪外務大臣政務官
2002年9月 倉田参議院議長、日本経団連ミッション
2002年10月 清子内親王殿下、羽田元総理
2003年8月 柳澤日本・ルーマニア友好議員連盟会長、小林財務副大臣
2004年1月 松宮外務大臣政務官
2004年9月 森山前法務大臣、麻生総務大臣(万国郵便連合(UPU)総会出席)
2005年5月 森山元法務大臣
2006年5月 柳澤日本・ルーマニア友好議員連盟会長
2006年8月 西川厚生労働大臣政務官
2006年11月 武見厚生労働副大臣
2007年1月 麻生外務大臣
2009年1月 伊藤外務副大臣
2009年5月 秋篠宮同妃両殿下
2010年7月 日本経団連ミッション

(2)来

年月 要人名
1990年 セヴェリン副首相、イリエスク大統領(即位の礼出席)
1991年 ナスターセ外相、ディジュマレスク副首相
1992年 ジョルジェスク蔵相
1993年 ネグリツォイユ副首相
1994年 ゲルマン上院議長、ナスターセ下院議長 
1996年 ポペスク通商相、コシェア副首相、メレシュカーヌ外相(外務省賓客)
1997年 ロマン上院議長、コンスタンティネスク大統領(公式実務訪問賓客)
1998年 バセスク運輸相
1999年 ベルチェアーヌ産業通商相、アントネスク青年スポーツ相
2000年 ロシュカ公共機能相
2001年11月  ヴァカロイウ上院議長
2002年1月 ジョアナ外相(アフガン復興支援会合出席) 
2002年2月 イリエスク大統領(公式実務訪問賓客)
2002年9月 ドルネアーヌ下院議長
2002年11月 ディジュマレスク首相府通商担当次官(前駐日大使)
2003年3月 ムシェテスク民営化相 
2003年5月 ラドゥ政府特別代表(NATO・EU統合及び持続可能な開発担当)(旧王家王子殿下)
2003年12月 テオドレスク文化・宗教相(2003年世界遺産会議出席)
2004年4月 チョントゥ下院副議長(ルーマニア日本友好議連会長)
2004年10月 チャンバ外務次官(イラク復興信託基金ドナー会合出席)
2005年1月 ボルベイ公共事業・国土整備担当相(国連防災会議出席) 
2005年3月 ヴィンクレル通商担当相
2005年5月 バセスク大統領、コポス副首相他(博覧会賓客)
2005年11月 ウングレアーヌ外相(外務省賓客)
2006年3月 ヴィンクレル通商担当相
2007年2月 タリチャーヌ首相(実務訪問賓客)
2008年4月 シラギ中小企業・貿易・観光・自由業相 
2010年3月 バセスク大統領(公式実務訪問賓客)。バコンスキ外相、ヴラデスク財相他が同行。
2011年2月 コステア外務次官

8.二国間条約・取極

1960年 貿易支払協定
1969年 通商航海条約
1975年 文化取極、科学技術協力取極
1977年 租税条約
1995年 青年海外協力隊派遣取極

9.外交使節

(1)駐ルーマニア日本国大使 雨宮夏雄特命全権大使

(2)在京ルーマニア大使空席 ペトレ・ストイアン(Petre Stoian)臨時代理大使