熊野への道

 秋の連休と休暇をくみ合わせて、紀伊半島を一周する。久しぶりの高野山。那智の滝、ジェットホイルに乗ることが必須。

 東京から大阪へ車で行く。
 仕事を終え、実家へ車を取りにいき、午後9時すぎに出発。今回は、東名で行く。名古屋市内を市内を抜けて、一般道へ抜ける手前のSAで車中泊。午前1時頃か。
 まず、「柳生の里」を一巡する。柳生の里は、「柳生兵庫介」を読んで是非どんなところか確認してみたかった。忍者とは中々結びつかない。柳生屋敷跡があったが、思った以上に小さい屋敷跡であった。
 次に、秋の正倉院展を見る。織田信長の切り取った蘭麝香(らんじゃこう)が展示してあった。興味深く見る。
 その後、高校の修学旅行以来の東大寺である。大仏殿を拝観して、有料道路から大阪に入る。これが、大渋滞であった。
 夜、天満の近くの「奴寿司」に入る。ストップというまでいろいろな寿司がでてくる。大阪に来たら、一回は行く場所である。腹がいっぱいになったところで就寝。

1日目:大阪―根来寺―高野山―竜神温泉

 大阪を朝8時に出発。近くの高速の入口を探すが、朝の渋滞に巻き込まれた。奈良からの帰りと同様に、大阪での渋滞も中途半端ではない。
 高速に入ると、関空へ向けて走るので、がらがらである。それも、関空への分岐点を超えると、平日のためなのか、ほとんど車がない。和歌山の手前のインターで降りる。
 根来寺が最初の目的地である。戦国時代、高野山と根来では僧兵の二大勢力であったものが、現在では高野山に大きく遅れをとっている、と私には思えた。(何をもって遅れを取っているとみるかは、見解が別れる。)どのような形で根来寺が残っているのか興味があって訪問した。やはり、敷地は広大である。往時の賑わいは、いかばかりかと思われた。根来寺には、興教大師のお墓があった。我家の宗派の中興の祖といわれている。興教大師の掛け軸をお寺から貰っていたので、どんな人か興味を持っていた。当然、お墓参りをした。奥のほうにある。厳粛な気分になる。
 次は、高野山である。猿飛佐助の主人である真田幸村が蟄居させたれた久能山が高野山の手前にある。その山は険しい。途中に昔懐かしいドライブインで昼食。関西風のおでんを食べた。店は新しくなかったが、おでんは美味かった。高野山はその山を超えた奥地の台地に存在している一大霊場である。よくもまあ作ったもんである。学生の時以来の訪問である。無料駐車場が完備している。(三上宏?・ユンピョウが主演の「紅孔雀」では、裏高野に秘密の修行場があった。?!そうかなあ、と信じてしまう自分が恐い。)
 金剛峰寺をゆっくり拝観。今回初めて奥之院へ行った。墓地の名前を見ていると、織田信長や豊臣秀吉などの他、歴史小説に出て来るような人のがたくさんある。先日の高野山墓地での永代供養の詐欺事件のように、ここに御墓をもてるということは、それなりの名誉なのかも知れない。
 御墓というと、台湾でテレサテンのお墓参りをしたときを思い出す。台北の北へ車で1時間半程度の距離に金山という所があり、その郊外の海が見える丘陵に大規模な墓地があり、その一角にテレサの御墓があった。遠くから見ると、その丘陵は別荘が立っているような感じを受けた。近くでみても、小さな別荘のような立派な墓地ばかりであった。中国では、立派な墓地を作ることが、その家の名誉、とのことで、御墓は贅沢を競うような感じであった。テレサの墓地にあるボタンを押すとテレサの歌が流れるという趣向があり、「川の流れのように」が流れていた。台北に帰って、テレサ全集のCDを購入した。
 奥の院には、弘法大師廟がある。その地下に入ると、地中に埋められている大師と同じ目線で拝めるというものである。たまたま団体客に付いて、地下に入ってわかったものである。この日は興行大師と弘法大師と真言宗の開祖と中興の祖のお墓参りができた日であった。感謝!
 奥の院から高野龍神スカイラインを走る。護摩壇山に「ごまさんスカイタワー」という展望台がある。何が見えるのかと登ったが、山だらけである。日の出や日没のときなどは素晴らしい景色になるのではないかと思うが、曇っていた。ガイド本には四国まで望めるとある。
 龍神温泉の露天風呂に入りたいと思い、ガイドに載っている旅館に電話をしたら運良く一人でも部屋が取れた。龍神温泉元湯の露天風呂は日高川沿いにあって、気分がいい温泉である。400円である。狭い無料駐車場があった。夕食は、猪鍋であった。竜神温泉は、弘法大師が浴場を開いたことで知られる日本三美人の湯で知られている。(他の二つは、群馬の川中温泉、山陰の湯の川温泉?)

2日目:龍神温泉―田辺―白浜―潮岬―勝山

 旅館にも露天風呂があった。朝、日の出を見ながら入浴していたが、山間にあるので、太陽は大きくなっている。
 朝寒かったためかエンジンが中々かからない。やっと、出発。
 紀伊田辺へ向かう。途中、奇絶峡というところがある。絶壁に彫られた摩崖仏が必見。なんとなく観光客についていった。
 紀伊田辺といえば、南方熊楠である。南方熊楠の記念館(白浜)で偉大さを痛感。やはり天才ではないか。コケやシダなどの菌の研究については、いまだに正確な評価が与えられていないようである。昭和天皇も南方に会いにわざわざ田辺まで御幸されたとか。
 白浜では、広々とした石畳の千畳敷と迫力満点の三段壁を見学する。白浜では外湯がたくさんあり、二つぐらいは場所がわかったが、どこにも入らなかった。今思うと、もったいない!
 次は、天気予報で名前がよくでる潮岬である。やっと潮岬灯台である。灯台に登ってなんとなくうれしかった。
楽しみの一つが実現したからである。これで天気予報をみていても含蓄を披露できる?車で来て良かった。
 串本節の大島というのが、本当に大島であるのが驚きであった。全然知らなかった。(当たり前だが知らないことだらけである!)
 海岸線の見晴らしのいい喫茶店でお茶を飲みながらガイド本を読んでいたら、勝浦のホテル浦島の海中風呂(大浴場)など館内の浴場を入浴料だけで利用できることがわかり、急ぐ。ホテル浦島までは、まず広い駐車場に停め、専用のワゴン車で港まで行き、そこからは専用船でホテルまで行く。洞窟風呂や長いエスカレーターで山の上にある露天風呂などに入浴した後、夕食を取ろうとしたら、宴会の時間なのでお店が開いていない。(納得)カップヌードルで腹を満たす。当たり前だが、帰りの船にはほとんど乗っていない。入浴だけの人はもっと早く帰るようだ。もっと早い時間に来て、入浴時間を十分取っておくべきであった。2500円?だった。
 近くに「道の駅」もないので、車中泊する場所を探す。勝浦市内では見つからないので、太地まで戻り、そこのホテルの駐車場の一角で車中泊。

3日目:勝山(太地)−那智の滝―熊野速玉大社―瀞峡―熊野本宮―伊勢

 太地町の先端にある梶取岬で日の出を見る。久しぶりにパーフェクトな日の出であった。太陽が昇るのをみていると、太陽から英気を与えられているようで、気力が充実する。
 紀州の旅のハイライトの日である。まず、那智熊野大社にお参りし、那智の滝をみる。高い。滝の側にいると英気が与えられるようである。
 次は、新宮市の熊野速玉大社を参拝した。本宮へ行く前に、熊野川町の志戸からウォータージェットで瀞峡観光である。前回紀州に来たときに、乗れなかったものである。ずっと乗ってみたいと思っていた。やっと、希望がかなった。本宮を参拝した。
 川湯温泉の仙人(千人)風呂に入る。川の一部をせき止めて、川の水量が少ない晩秋以降に設定される。水着で入ったが、少し冷たい。所々に温泉が出るところがあり、その近くに人が集まっている。外人さんも入っていた。ガラガラのようだが、50人以上は入っていたようだ。
 北山村から尾鷲に出る。明日は伊勢の二見浦で日の出を見ようと急ぐ。途中で道に迷う。仕方なく海のほうへ向かって、やっと二見浦の駐車場で車中泊。

4日目:伊勢―二見浦―内宮―外宮―名古屋―東京

 二見浦の駐車場で起きる。二見浦へ行ってみたが、日の出が見える日ではなかった。日の出をみるのであれば、季節を選ぶ必要がある。(当たり前か)
 伊勢神宮の内宮と外宮を参拝した。いつもながら厳粛な気持ちになる。
 帰途、伊勢駅伝に出会う。旗をもらって応援する。近くで見るとランナーは速い。誰が速いかは見た目では分からない。
 東京に戻り、首都高が渋滞。車から煙が出ているようであったが、不安で止められなかった。後でわかったことだが、エンジンオイルが欠けていて、エンジンが焼けてしまった。廃車になってしまった。始動前の点検を欠かしたからである。反省。