九州一周への道

1999.5
明石大橋から四国の北部へ、フェリーで佐賀関に上陸、九州一周、そして、山陰、丹後、北陸を回って帰る

 今回は、九州を一周するのが目標。どの経路から九州に入り、どう東京へ戻るか、いろいろ検討した。帰りに、丹後半島と永平寺が必須と考えていた。後は、そのときの気分と体力次第である。
 開通した明石大橋を渡りたいので、その後四国の瀬戸内側を経由して九州へ行くが、どの地点のフェリーを使うか決めていなかった。雨が強くなったので、便数が多い三崎を使うことにした。
 由布院へは、いつから行くことにしたか不明。当初は、九州の海岸線を一周するだけなので、今回行った内陸部の高千穂などは予定していなかった。
 帰りに永平寺に行くことは、当初から決めていたが、吉崎へ行くことは途中決めたことである。ガイド本と地図で吉崎の場所がわかったからである。(真宗関係者以外で、吉崎の名前を知っている人はどれだけいるのだろうか?)

1日目:東京―明石大橋―高松―丸亀

 前日に実家から車をとって来て、朝9時に出発。途中、東名は連休なのにすいていた。浜松湖ICで昼食。名古屋を通過して、京都ではほとんど渋滞がなく、吹田では若干渋滞に巻き込まれた。しかし、全体としては順調に進んだ。
 中国道の三木JCTから山陽自動車道で垂水を通過して、明石海峡大橋へ。このルートから明石大橋へ行く場合、「明石大橋へ」との表示板が的確に置かれていないので、事前に道順をよく頭に入れておかないと迷子になる可能性が大きい。要注意!
 夕方明石大橋を超えたところにある道の駅「あわじ」に到着。天気がよければ、大阪湾の天保山が見えるとのことだが、当日は見晴らしが悪かった。夕食後、雨が降り始め、鳴門海峡までは土砂降り。
 大鳴門橋を越え、四国の入口の鳴門から海岸線を北上して高松へ。線路沿いに家並みが続いていると感心した。(後日、バスで通ったが、道路ぞいに家があるだけであった。賑わいは感じられなかった。)
 高松市内に入り、高松駅を目指したが、途中どこかはわからないが繁華街があって大渋滞。やっと高松駅についたら、田舎の小さな駅で驚いた。駅前は、閑散としていた。(高松の名誉のために、正確な表現をしてみると、高松駅周辺は、その時は再開発の最中で、再開発が終わると大きな駅ビル群ができて、駅前が一変するそうです。高松の一番の繁華街は琴電の瓦町駅前一帯のようであり、わからなった繁華街は瓦町周辺のようです。)
 寝場所を求めて、坂出の瀬戸大橋の近くに道の駅「瀬戸大橋記念公園」があったのでそこへ行き、深夜の12時過ぎなので寝ようとしたら休みの前の日なのか、公園に若者たちの車が続々と集合してきた。危険を感じて、早々に退散した。
 丸亀の手前に宇多津というところに瀬戸内海を一望できそうな高層ビル(ゴールドタワー、158m)があったので、確認のため近くにいってみたら、こんなところでこの時間なのに、なぜ、という感じで渋滞していた。雰囲気がおかしいので、よく見てみると、女性が乗っている車を車でナンパするために並んでいる車の列であった。驚いた。
 結局、丸亀港の近くの公園の側で車中泊した。

2日目:丸亀―善通寺―新浜―今治―松山―伊予長浜―八幡浜―三崎―(九州)佐賀関

 瀬戸内海の島への連絡船の音で目がさめた。まだ6時前である。コンビニで弁当を買って、瀬戸大橋を改めて見ようと、前日退散した道の駅に行く。
 瀬戸大橋タワーに登って瀬戸内海をで展望しようとしたが、開館まで時間があるので断念。
 そうだ、善通寺へ行こう!(と、ガイド本をみながらひらめいた。)善通寺は、金刀比毘宮の琴平の手前である。
お寺の裏手に広い有料駐車場がある。境内は広い。が、まだ早朝なので人出は少ない。善通寺参りをする。空海上人が生誕した寺である。戒壇巡りをするが、長野の善光寺と違って人がいないため不安。まだ、11時前である。
 海岸線を、新居浜を抜けて、途中、今治へのショートカットを目指して国道を離れて海岸沿いを走ると、モーテルで廃業したのがあった。モーテルで倒産するなんて意外と感じた。
 今治の市街地を、右手に今治城を見ながら、来島海峡を見渡す公園へ。しまなみ海道がまだできていないので、工事中の来島大橋を見る。
 海岸線を松山を目指す。松山手前の海岸線沿いの喫茶店で海を見ながら午後ティーwith cakeを取る。
 松山を抜けて、伊予市から双海(海岸線からの夕日がキャッチフレーズ)を抜けて伊予長浜ヘ。長浜までは鉄道があるのが意外。ここから八幡浜市に抜ける国道が狭くて険しい。かなりの部分が1車線である。夜だと恐い。
 八幡浜から,佐多岬半島の先端に位置している三崎町まで目指すが、山間の道に入ると霧で先が見えない。三崎では臨時便が出ていたので、その最終便に乗れることになった。大雨である。夜、暴風雨の中を海を渡って九州に上陸した。

3日目:佐賀関―湯布院―阿蘇やまなみハイウェイー高千穂峡―延岡―日向―宮崎―日南

 前日の大雨が夢のような良い天気である。湯布院IC大渋滞の看板があったが、20分程度の渋滞だけで湯布院に入る。公共の湯「ゆふいん健康温泉館」の駐車場に停めるも、開店まで時間があり、湯布院の街中を散策する。由布岳をみながら露天風呂に入った。幸せな気分。東京からこんな遠くの由布院で温泉に入れるとは!念ずれば通ず、である。休日は、湯布院へ入ってくる道という道で大渋滞のようである。
 やまなみハイウェー(無料)の反対車線も大渋滞。どうしてこんな渋滞があるのかわからなかったが、後で地図を見ると、阿蘇は熊本から1時間の距離である。観光地が都会から近いのに驚く。(後日、熊本へひと月半ほど出張させられて、阿蘇の近さを実感。)
 やまなみハイウェーと国道57号(熊本ー大分)が交差する場所で大混雑。阿蘇登山道(有料)に抜けるのに2時間以上かかってしまった。阿蘇山の火口口へ行こうとしたが、ここも渋滞が凄いのであきらめる。
 阿蘇登山道を通過して白山村へ出て、高森を抜け、やっと、天照大神の高千穂峡へきた。思えば遠くへ来たものである。峻厳な雰囲気がある。ボートに乗りたかったが午後5時を過ぎていたので本日は終了していた。残念。
 日程の都合もあるので急ぐ。日向、高鍋、宮崎を通過して(しかし、走りずめ。)、やっと、日南の海岸で車中泊。明日は、鹿児島で泊る予定なので、出きるだけ走っておこうとした。
 シーガイヤへも行って見たかったが、道を間違えたので、まあ、いいやとあきらめた。1−2時間つかるだけでは5000円以上も支払う気にもなれなかったからである。
 夜、宮崎や青島あたりを走っても、華やいだ雰囲気は何も無い。新婚旅行のメッカだった青島は、今は昔の感じである。(夜だから当たり前か。)

4日目:日南―都井岬―内之浦―佐多岬―鹿屋―桜島―鹿児島

 今日は強行軍である。日南港の駐車スペースに停めていたので、目がさめたら出発。市内に早朝から営業しているファミリーレストランで朝食を取る。全国にファミレスが増えて、私みたいな旅をする人間には助かっている。
 日南から都井岬までの海岸線は素晴らしい。都井岬は、野生馬の放牧で有名である。TVを見ていて1度は行って見たかった。野生の馬をそばで見て感激である。都井岬は、本当に、遠い!
 志布志湾の海岸線にそって佐多岬を目指す。この海岸線も素晴らしい。しかし、佐多岬までは遠い。途中、ロケットの発射で有名な内之浦を通過する。
 佐多岬への道(佐多岬ロードパーク)は、大渋滞。駐車場が狭いので、皆手前で道路に駐車している。この程度ならいいかなと駐車したが、岬まで20分以上かかるところであった。佐多岬への入口から、先端の展望台まで20分程度歩く。
灯台は、海を隔てた島にあった。これで本州最南端を制覇だ。
 鹿屋市(国生さゆりの出身地)をとおり、桜島からカーフェリーで鹿児島へ。ここのカーフェリーの手際の良さは驚異的である
 鹿児島市といえば天文館である。大学1年の時、友人を訪ねて1週間ほど彼のアパートでぶらぶらして以来である。ビジネスホテルが取れたので、チェックインして、天文館を徘徊した。この年代の人間が一人歩きする場所ではない。キャッチに声をかけられるだけである。昔飲みにいった店と場所を探したが、さっぱり分からない。10時近くになっても、かなりの人通りである。さすがに、九州では博多に次ぐ大都会である。
 結果的に安いビジネスだったので、雑音がうるさく、且つ、ベッドもぎしぎしいっ音を出していたので安眠できなかった。これなら車中泊の方が良い。

5日目:鹿児島―指宿―枕崎―野間半島―川内―八代―不知火

 鹿児島から指宿までの道路は、広島での、宮島までの道筋と同じような感覚である。地方の中核都市とその周辺では、いつも同じような道路環境が現れるようである。
 今日は、指宿での砂蒸し風呂である。「砂むし会館砂楽」である。若干雨が降っているが、快適である。我慢したが15分程度が限界だった。体が芯から温まった感じである。
 昔来た時は、イッシーで有名な池田湖を見て、がっかりしてから来たので、開聞岳が素晴らしかったが、きょうは小雨でよく見えない。カツオで有名な枕崎で昼食を取る。
 ここから坊津町を経て野間半島を一周する。(野間半島がどこか分かりますか!)この周遊道は、驚くことに国道であるにも係らず、途中1車線部分が多い。ほんとに、どこが国道かと思うほど、狭い所が多い。夜だと恐い。が、海岸線の景色は素晴らしいと思う。もう二度と来ることはないと、思いながら走っていた。
 加世田市、吹上町、川内市と通過して、道の駅の阿久根で休憩。出水から水俣のあたりで大渋滞に巻き込まれる。やっと八代に入って夕食を取る。八代は、大学3年以来だ。自転車で宮崎から長崎まで行く途中、天草五橋を渡る経路を近道するために、八代からフェリーに乗ってどこかの島について、夕方やっと天草の本渡市に着いたものであった。その時の記憶をたどるつもりで八代市内を走ったが、何も記憶に残っていないのが確認できた。
 熊本市の手前の不知火町の道の駅で車中泊した。

6日目:不知火―天草五橋―苓北―長崎―ハウステンボス―門司

 前回天草に来たときに、天草五橋を渡らなかったことが心残りだったので、ぜひわたって見たかった。やはり絶景といえるのではないか。
 今日は、天草から長崎へ渡る。カーフェリーの時間を確認していなかったので、ともかく苓北へ急ぐ。乗船の10分前ぐらいに着いた。次ぎは2時間以上後になるところであった。
 長崎を通過してハウステンポスにお昼過ぎに到着。園内のチョコレートハウスに勤務している同期生に昼食と暖かいココアをご馳走になる。(感謝!)
 夕方、ハウステンボスを出て、長崎自動車道の東彼杵ICから有料道路ヘ入る。佐賀に入ったところで休憩。
 鳥栖ICの前に日が暮れる。鳥栖ICから博多方面へ。地方へ来ると東京の明るさがきわ出るが、それでも福岡は、高速道の沿線が常に市街地で明るかった。
 関門海峡を望む関門橋SAで遅い夕食をとり、そして適当に時間を過ごして11時前に就寝。

7日目:門司―山口―益田―浜田―温泉津―松江―鳥取―浜坂

 朝7時前に関門橋SAを出発。小郡ICを降りて、山口から山陰道へ入る。津和野の町を軽く巡回して、国道に戻り、益田を通過。大学生の時、萩から益田へ抜けたときに道の狭さを感じていたが、今回はそんな感慨は無い。
 浜田、江津をすぎて、左手に温泉津がある。1300年前に発見されたとされる古い温泉場である。ガイドで共同浴場が記載されていたので、気分転換に元湯という所で入浴した。平日の午前中なので温泉街も人通りがない。素朴な狭い温泉である。弱アルカリ泉である。160円。
 大田のバイバスの喫茶店で昼食。出雲大社とその先の日御碕から宍道湖を一周する形で松江へ行こうかどうか考えていたが、出雲市内に入って渋滞であきらめる。出雲から松江・米子までは山陰の幹線道路なので断続的に渋滞が続いていた。米子で午後5時を過ぎていた。
 山陰の距離の長さを侮っていた。一般道では時間がかかりすぎた。帰路で北陸まわりで帰るので、その経路として山陰を回ることにしただけであった。丹波へどのようにして入るかだけなので、あまり時間をかける予定がなかった。
 夕食は鳥取あたりと決めていたが、米子から鳥取までも遠かった。3時間あまりかかった。鳥取は約10年ぶりだが、駅前あたりで適当に食事をした。
 浜坂あたりの海岸の駐車場に車中泊。

8日目:浜坂―香住―城崎―丹後半島一周―宮津―舞鶴―武生

 朝起きて、余部(あまるべ)鉄橋を見に行く。上からみると恐いのだろうが、下からみても高い。NHKの朝の連ドラの「ふたりっこ」で、この辺がよく出ていた。やっと来た、という感じである。
 城崎は、志賀直哉の「城崎にて」だ。教科書でしか城崎のイメージがないが、良い機会なので来て見た。城崎は、高級旅館のイメージがあり、泊れないので、温泉に入るには外湯めぐりだ。10時でいったん閉めるので、時間的に1ヶ所しか入れなかった。
 城崎は町自体は小さく、駐車スペースが少ない。雨が降り始めた。
 今回は、丹後半島も帰りに一周してみようと思っていた。ここは車がないとなかなか行けないからだ。海岸線を一周してみたが、雨が強くなって景色はほとんど見えなかった。丹後松島と呼ばれる名勝があるようであるが、もやっていて見えなかった。丹後半島を一周したという自己満足で終わり。
 宮津へ出た。天橋立である。これで、日本三景を制覇。雨がふり、もやっているのでケーブルかーで展望台へ行っても天橋立が見えるかわからないが、とにかく行って見た。上に行ったら、薄っすらだが天橋立が見えた。良かった。
当然、股の間から天橋立をのぞいて見た。
 舞鶴、小浜、敦賀を抜けて、河内から越前海岸方面へ。夕日を公共の湯に入って見ようとしたが、曇りで夕日が見えなかった。越前海岸は、夕日がみえることをキャッチフレーズにしている。そこで夕食。越前岬は、工事中であった。
 武生市の道の駅で車中泊。最初に停めた公園では、若者達の花火が始まり、車が集まりそうなので、寝るどころではないと思い、場所を移動したものである。地方だからといって、どこでも泊れるものではない。こういう時には、携帯があれば、電話で泊れる場所を探せるのに、なあと思う。そもそも公衆電話が見つからないからである。

9日目:武生―永平寺―東尋坊―吉崎―小松―東京

 こんなところで日の出に出会った。山の端から太陽が出てきたのには驚いた。紀伊の龍神温泉以来である。
 永平寺へ直行する。かってにお寺の中を見学するのではなく、お寺の人が何人かのグループごとに説明してくれる。運良くあまり待たないで観光が始まった。やはり永平寺は凄い、と感嘆。自分では、こんな寒い所での修行は無理である。(当たり前か)拝観が終わってもまだ10時前であった。
 北陸の名勝のひとつの東尋坊へいってみようと決めた。みやげ物屋の無料駐車場へ停める。昼食をそこで食べる。
 東尋坊を海からみる観光船に乗ってしまった自分が信じられない。が、乗って良かったと思うのは人間が成長したのだろうか。以前は、一人のときは乗ったことが無い。観光、観光したのに我慢できなかったからである。東北の「最上川下り」以来人間が変わったようだ。
 東尋坊は、断崖絶壁が売りなので、崖ぷちに近寄ると、怖い。今日は晴天であるので、景色は出色である。
 さて、次ぎはどうするかとお茶を飲みながらガイドと地図を見ていたら、中世の宗教王国が実現していたとされる浄土真宗の吉崎が、近くにあるのに気がついた。何と普段の行いが良いことか、幸運に感謝。
 当日は、蓮如まつり?で、蓮如像が京都から着く日のようであった。人が多数集まっているが、中高年の人が多い。あたりをまわって見たが、昔の繁栄の跡を探すのは難しかった。しかし、丹羽文雄の「蓮如」を読んでから、吉崎へ行ってみたかったので、実際に訪問することができてうれしかった。(2000年の夏にまた行ったが、平日なので、うそのように人がいなかった。住職が吉崎は過疎地帯だと嘆いていた。江戸自体の古地図では、吉崎経由の船便があったようである。)
 吉崎へ来てしまったので、あと1日北陸へ滞在する予定だったが、もう、東京へ帰りたくなってしまった。いまさら金沢市内見学する気持ちになれなかった。(金沢は敷居が高い気がした。1999年度は、地方の国税局の人と共同で仕事をしたので、金沢へも出張で2回行って、若干、抵抗が無くなってきている。歴史があるところは、なんとなく苦手だ。)
 加賀ICで帰路へ。金沢を越えたあたりで、富山の立山連峰が前方に見えてきた。すばらしい!
 初めての北陸道は、いたるところ工事車線が多く、1車線の区間が多い。新潟に入る頃には暗くなってきた。途中、休み休みかえる。
 トンネルを抜けて左手に赤城山が薄っすらと感じられる辺りから、急に空が明るくなった。関東は明るい、と実感。驚いたことに、関東では、この明るさが東京までほとんど続いてしまっていることである。(これでは、星が見えない、と今なら分かる。)
 充実のうちに無事帰還。

総括

 今回は、何回も温泉につかった。湯布院、指宿、温泉津、越前海岸。
 今まで絶対行けそうも無い所へも行けた。高千穂峡、都井岬、佐多岬、天草五橋、永平寺、東尋坊など。
 九州は、遠い。往復に、優に2日以上かかる。しかし、車がないと、動きがとれないのも事実である。
 時間があれば、ひとつひとつの温泉地をそれぞれ1日ぐらいゆっくりしたいものである。キャンピングカーで、道の駅を巡っているのに気がついた。自炊設備があれば、安い費用でのんびり旅行できるのではないか、と思った。宿泊は、キャンピンカーで、入浴は公共の湯か銭湯を使うものです。
(2000.12.17)