東北への道

1996.8
関越から新潟に入り東北一周(酒田、鳥海山、最上川下り、男鹿半島、竜飛岬、大間碕から海岸線を南下して、遠野、牡鹿半島、金華山)

 夏休みを利用して、東北を一周した。当初の予定では、日没どきの鳥海山を見に行くことだけを決めて出発。

1日目:東京―関信―新潟―酒田

 いつものとおり足立区の綾瀬から出発。普段、車を使っていないので、車を借りるからである。北綾瀬の実家からなので、三郷ICから外環状に入る予定でいたが入口がわからず、外環状の下の道路をひたすら走って、草加ICでやっと外環状に入る。
 練馬(大泉)から関越に入る。しばらく運転しているうちに、開放感に満ち足りた気持ちになった。やっと休暇だと思えたからである。休暇を取ろうとすると、その前後はその分忙しくなってしまうからである。途中のSAで屋台を楽しみながら、ひたすら新潟に向けて走る。
 関越トンネルを抜けて新潟県に入ったところで睡魔に襲われた。近くの塩沢石打SAで1時間あまり眠る。ここで午後3時を過ぎていた。新潟市内に入ることなく新発田を抜けたあたりで夕闇になったので、村上の手前の中条で夕食。
 鶴岡までは山道。狭くて曲がりくねっているわりには、地元の車は飛ばしている。一日目で運転になれていないので、流れに乗れない。鶴岡の手前の海岸で休憩。鶴岡から酒田までは平野が続いている。
 酒田駅前で「おしん像」を探すが見つからなかった。鳥海山の手前の道の駅で車中泊。

2日目:酒田―鳥海山―最上川下りー秋田市―男鹿半島

 鳥海山からの日の出を見るために中腹の駐車場へ。やっと日の出に間に合ったが、山の端からの日の出なので、太陽が高く、まぶしい。まだ朝の7時前である。コンビニで買ってあったおにぎりで朝食。
 一眠りの後、ガイドブックを読んでいたら急に最上川下りがあると気がついて、新庄方面へ。戸沢村の船着場から、船にのる。芭蕉の気分である。下ったところで降ろされ、駐車場へ戻るのに手間取る。バスが中々来なかった。
 酒田の少し上に飛島がある。フェリーがあれば1−2日飛島にいようと酒田港に急いだが、20分の差でその日最後の便が行った後だった。仕方がないので、方針を変更して、秋田に泊まろうと決めた。秋田への途中午睡を1時間余り。まだ、体が旅人になっていない。
 秋田に入る。港のポートタワーの展望台から夕日を見ようとするが、日没のところで雲がかかってしまった。秋田は、竿灯祭の最中であった。
 ビジネスホテルに何件か電話したが満員であった。あきらめて、八郎潟の公共の温泉に入って、どこかで車中泊の予定であったが、公共温泉への入口がわからず、能代まで行ってしまった。
 男鹿半島に入っても道に迷いながら、泊まるスペースを探すも見つからない。男鹿温泉郷へ行ってみたが、車が置けるスペースが無い。男鹿半島に入ると、自然と「なまはげ」のイメージが出てきた。
 我家は秋田の出身なので、子供の頃、悪いことすると、「なまはげ」が来るぞ、と言われていたような気がする。こんなところで思い出さなくてもいいのに、恐い恐いと思いながら走りまわる。完全な迷子である。
 走りまわって、どこかはわからないが大きな駐車スペースがあった。そこに何台か停まっていたので、ホッとして、そこで車中泊。疲れた。肩がコチコチである。

3日目:男鹿半島内めぐり―竜飛岬―青森

 夜どこだかわからなかったが、朝起きて、地図をみると男鹿半島の先端であった。みやげ物屋の前の駐車場であった。半島の先端を散策したところで、みやげ物屋が開き始めたのでそこで、刺身定食を取る。
 その後、男鹿半島をぐるぐる回った。ほとんど平地が無い。男鹿半島一の山の展望スペースへ上ったが、折悪しく、霧が出てきて、景色がほとんど見えなかった。
 昨日見つからなかった公共の湯を見つけた。夜では無理である。看板もなにも無いからである。昨日の疲れがなくなったようである。露天風呂に入りながら、漠然と東北一周するかという気になった。
 昼食をとり、少し昼寝をして出発。小雨が降っている。
 能代を抜ける。八森にきて、初めて「ハチモリはたはた」のハチモリが八森という知名であることを理解した。能代から海岸を北上するが、線路と道路のスペース以外無い。冬は海が荒いだろう、暮らしづらいだろうと思った。道路の右手は山山山である。白神山地は凄いと思う。
 日本海で夕日を見る場所として、不老不死温泉があるが、雨が降っていたのと、理由はないのだが先を急いだので、この有名な露天風呂に入らなかった。この頃までは、自動車での旅の仕方がよくわかっていなかったのだと思う。今思うとなぜ、その温泉に入らなかったのかと後悔しきりである。
 千畳敷という海岸を過ぎ、津軽平野に入ると岩木山が見える。海岸線から津軽平野に来て田畑が見えると海岸線と比べて肥沃な土地に思えてくるから不思議である。そこから北上する。小泊岬を左手に、こちらから竜飛岬を目指すのは、裏街道のようである。昔は、船以外で行けそうな土地ではない。晴れていれば絶景かもしれないが、途中、国道が工事中でスピードが出せない上、雨と霧で前方の確認が中々できない。明るいうちに岬まで行かないと、竜飛岬の記念品が買えない!
 竜飛岬は、暴風雨状態でみやげ物は午後5時ごろなのにすべて閉店していた。竜飛岬名物の国道の終点が階段がなっているという場所を確認して、青森市内へ。結局、日本海側の日没は見られなかった。
 途中から鉄道に沿って走る。沿道に家が多いのに驚く。青森には7年?前にも来ているので、そのときの青森市の駅前の記憶をもとに駐車スペースを探すも無理なので、すこし離れたところに駐車して、遅い夕食を取る。
 午後8時を過ぎている。出発する頃には、雨が強くなり、先が見えず眠いので、国道沿いの駐車スペースに止めて眠る。

4日目:青森―下北半島一周―八戸

 目がさめたら、大雨であった。今日は下北半島一周の予定。
 途中朝食を買いに車からでるだけでびしょ濡れだ。野辺地から左折して、下北半島を目指すが、大雨で道に冠水している。そこを自転車やバイクで旅行している人たちにであう。車は楽だ。
 左手の海の向こうのほうに恐山が雲間に見える。なぜ、恐山なのだろうか。東北一周するにしても、何故か恐山を避けようと思っていた。霊山だからだろうか。昨日あたりから、絶対恐山へ行かなくてはいけないという脅迫観念にとらわれていたが、かといって恐いので、できるだけ恐山に近いところで泊まり、明るいうちにお参りだけしておこうとして、
昨日は強行軍になってしまったのであった。こうして、下北半島へ向かうことにしたのである。
 陸奥市の近くまでくると雨が小ぶりになり、恐れていた恐山では雨が止んでいた。心を落ち着かせてお参りをして、そして賽の河原なども巡った。霊媒もいるというので、死んだ父親を呼び出してもらおうと考えたが、それは、母親などを案内する機会にと思って止めた。結局2時間以上そこにいた。
 すっきりした気分で、大畑から北上して、本州最北端を目指す。NHKの朝の連続ドラマ「私の青空」でも舞台になった大間崎で、「本州最北端の食堂」がうりの店で昼食を取った。よくそんな文句につられて入る自分が恥ずかしい。久しぶりにNHKの朝の連続テレビを見る。
 大間から逆の方向で海岸沿いを一周する。といっても、下北半島はほとんどが山なので、通れるところは少ない。天気がよければ岩木山や竜飛岬も見えただろうが、曇天のままなので無理だった。下北半島には、泊まる勇気がなかったので、道の駅でお土産を探して、そして陸奥へ向かう。
 陸奥から南下して、横浜から太平洋岸に出る。小川原湖を右手に見ながら南下して、三沢を経て八戸で夕食を取る。JRの八戸駅は、東北本線の駅ではなく、市街地も東北線から離れている。八戸の街はさすがに大きく、明るい。市内には泊まれるサウナやビジネスもあったが、久慈まで南下して、道の駅で車泊した。

5日目:八戸―釜石―遠野―女川

 恐山の一日が終わりホッとしていた。天気も良い。世界選手権の女子マラソンで鈴木博美が優勝したことをラジオが伝えていた。
 久慈から宮古、そして釜石ヘ。新日鉄の工場を概観する。まるで釜石の市街地全部が新日鉄のようである。遠野に抜けて、公共の温泉で2時間休んだ。岩手県の道路も整備されている。三陸海岸の巨石半島で、巨石などを見学していたら、遠くに金華山が見えた。久しぶりに金華山へ行こう、と思った。そして、牡鹿半島で日の出を見よう。
 一日のんびりしていたので、気仙沼にきたときに午後5時を過ぎていた。男鹿半島の基点である女川まで行こう、としていたが、北上から雄勝、そして女川への道は夜の山道になってしまった。街灯もない道路は暗くて恐い。やっと女川に着いたときは、生き返ったような気がした。
 港にある町営の駐車場に車を止めて、寝た。キャンピングカーが、一般道に停まっており羨ましく思った。

6日目:女川―牡鹿半島―金華山―仙台―塩屋岬

 日の出を見ようと牡鹿半島へ向かう。中腹の展望所で、ちょうど太陽が顔を出し切ったところであった。そこには、自転車でキャンプをした人がいたが、こんな人も明かりも無いところで、一人で一夜を過ごせるなんで、勇気がある人だなあと感心した。旅に出てみて、夜は暗くて長いのだとわかってきた。
 何もないところなので、牡鹿半島の先端にむかう。金華山へ船で渡る。3年ぶりの渡島である。3年連続してくると願いがかなうといわれているが、少し時期はずれである。参拝の後、船着場で「いかげそ」を食べる。前回と同じでうまい。
 朝早かったので、お昼は石巻で何かうまいものを食べようと金華山を後にした。前回は、捕鯨基地で有名だった牡鹿町の食堂で鯨定食を食べたが、昔の給食で食べた鯨の唐揚と違った。イルカではないかといわれたが、鯨の種類が多いので、イルカの肉に似たものもあるかもしれないので虚偽表示とはいえないのかもしれないが、どちらにしても、二度と食べる気にはなれない。
 石巻に入ったら、牛タン定食の店があったのでそこで食べる。仙台地区の牛タンは、うまい。昼定食でも安くて十分にうまい。石巻まできてやっとコンビニでセブンイレブンが出てきた。
 時間があるので松島を見てみようと思った。ちょうど、裏松島の表示が目についたので、その当たりを走って見学。裏手から松島をみるのもいいものである。松島は渋滞である。が、反対車線はその何倍も渋滞が長い。
 仙台は通過。
 どこで泊まろうか考えながら南下する。走り始めると中々停まれない。結局よくわからない店で夕食をとり、そして、200キロ近く走り、何故か美空ひばりの歌で有名な塩屋岬の駐車場で車中泊。

7日目:塩屋岬―東京

 塩屋岬は、美空ひばりの歌が聞こえるようになっていたが故障中である。曇っていて日の出は見えなかった。
 いわき市の市街を一巡して、東京へ帰ることにする。高速にのればどうってことは無いが、旅の過程ではできるだけ一般道を原則にしているので、一般道をひたすら東京へ走る。
 水戸の偕楽園当たりからは、馴染みの道のはずだが、雰囲気が変わっていた。土浦にはバイパスがあり、荒川沖当たりでは、筑波からの道が朝の渋滞の最中であった。
 牛久あたりは住宅が建っていて、中学生の頃と比べると別世界の感じである。ここで遅い朝食を取った。睡魔に襲われ、休業中の店の駐車場を借りて仮眠した。あとは帰るだけである。
 しかし、一般道のこの道を通るのも、20年以上も経っていることに気がついて驚いた。昔走った頃に比べて、道路が狭く感じた。新葛西橋では、時間帯がよかったのか渋滞がないのが意外であった。
 予想以上に早く足立区にお昼過ぎに着いてしまった。一日早く、それも早い時間に帰ってきたので家族が驚いていた。
 今回は、途中から家族に義理建てしたためか、全て車中泊になってしまった。しかし、途中の過程で観光地巡りや温泉も楽しむべきだということが理解できてきた。今回の成果は、道の駅の効用が理解できたことである。道の駅を基本に旅行すればいいのだと、やっとわかった。